まごうことなく日本ラノベSFの超絶傑作 九岡望『エスケヱプ・スピヰド』

エスケヱプ・スピヰド (電撃文庫)

エスケヱプ・スピヰド (電撃文庫)

 『アルデラミン』『野崎まど劇場』と並んでマニア人気が高い電撃文庫こと『エスケヱプ・スピヰド』が、完結した。
 シリーズ全体の評価を言わせてもらうと、まごうことなく超傑作級
 「これだけでいいから読んで!」と最終巻だけを周囲に配布しまくりたい気持ちだが、最終巻の感動はやはり全巻通して読んだうえのものだと思うので、一気読み推奨。
 「1巻しか読んでない」「2・3巻で切った」という人も是非その後を読んでいただきたい。それだけの価値は絶対にあると断言できるから。
 現在6巻まで電子書籍も出ているので、気になったらこの場ですぐに読むことができますよ!

http://bookwalker.jp/series/11881/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%B1%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%B0%E3%83%89/



 無視されがちだが、ライトノベルがSFに多大な貢献をしてきたことを私は知っている。
 90年代〜00年代にかけ、いわゆる「越境ブーム」に乗るような形で冲方丁長谷敏司桜庭一樹ライトノベル出身作家が綺羅星のように現れ、絢爛たる作品を数多く発表した。「次世代作家のリアル・フィクション」と形容されたそれらの作品は、今では半分クラシック扱いすらされている気がする。
 その後日本SFは伊藤計劃の登場と早逝、円城塔の活躍を経て、暗黒の内乱状態に突入するのだが、そんなドロドロとした混迷の中でSFの持つ可能性と楽しさ、そして「強い物語」を再確認させてくれたのがこの『エスケヱプ・スピヰド』だった。
 『エスケヱプ・スピヰド』は信念と生と、そして終焉の物語である。すごいパワーを持ったすごいロボットのすごいパイロットがただひたすらに戦う話だから、「言語」「社会」「意識」といった意識高い系の連中が喜んで「伊藤計劃以後」と持ち上げる要素はない。強いて言うなら「戦災から復興しつつある世界」「超克すべき最後の敵が重力で地震を起こして攻撃する」ところに3.11以後のSFとしての読みができそうだし、神林長平冲方丁といった日本のサイバーパンク小説の流れを見事に継承している作品でもあるが、そういうのは野暮だろう。
 7巻かけて、愚直なまでに、痛切な筆致で、「すごいバトル」を描き切ったことに日本SFの希望を見出したのだ。
 『エスケヱプ・スピヰド』は生来、終焉を宿命づけられた物語だった。本来メインに来るはずの「戦争」が終わった後の世界が舞台であり、主人公達の最終目標は「戦争」の完全終結と、決戦兵器たる鬼虫(ロボ)の放棄。鬼虫を増やして新たな戦いを……という方式でいくらでも続けられそうだが、それは敵側(黒塚部隊)の論理として登場している。主人公側の鬼虫はもうこれ以上増えない上、「新ロボ!新展開!」とでもいうように戦争の継続を推し進める黒塚部隊と戦い続ける。物語を終焉させるために。つまり、鬼虫と黒塚部隊の戦いは〈終焉〉させようとする意志と〈継続〉させようとする意志の拮抗といえる。
 その戦いは巻を重ねていくたびに苛烈になっていき、特に終盤では悲壮感が漂う。主人公達が目指す〈終焉〉にこれまで半身として戦ってきた鬼虫との離別も含まれている以上、そうなるのは当然だが、特に仲間の離別が描かれる5・6巻の圧迫感はものすごい。1巻からちょくちょく行ってきた、登場人物の掘り下げと過去回想の積み重ねが最も結実しているのがこのあたりで、通しで読むと登場人物に抱く印象(特に日足)が始めと終わりでガラッと変わっていく。
 終末的なムードと「死」が常に漂いながらも、希望が感じられるのは、登場人物達の「生きたい」という強烈な意志が感じられるからだろう。
 最終7巻は圧巻だった。明らかに寿命を削って書いてる感が物凄いほど、鬼気迫る内容だった。本当に、「この世にこんな小説があってよいのか」と思うくらい、終始泣きっぱなしだった。7割がバトルシーンという驚異的な構成、怒涛の伏線回収、鬼虫や黒塚部隊はもちろん、名前のない脇役まで見せ場が用意された豪華さがまず目を惹くが、それ以上にエモい演出の数々が読み手の感情を揺さぶる。
 特に、無名の機械兵部隊の戦闘シーンは、「無機質な自律ロボ」の描写の集大成といっていい。この作品においてだいたいの機械兵は、特撮の戦闘員やニンジャスレイヤーのクローンヤクザのような「かませ役」なのだが、最終巻では勝ち目のない戦いに赴く彼らがクローズアップされる。
 魂もなく、命もなく、感情すらもない彼ら機械兵がどのように「生きていく」のかはあえて書かないが、機械兵の「とある機能」を駆使した演出が熱くて、思わず泣かされた。
 登場人物の「生」の輝きが炸裂し、敵も、味方も、脇役も全員が終着点に向けて全力疾走している小説だった。
 SFの文脈は紛れもなく受け継がれている。『猫の地球儀』『紫色のクオリア』といった名作SFを数多く輩出している電撃文庫SFの名に恥じない作品である。本作は秋山瑞人椎名誠の影響を受けていることが知られているが、全体的には冲方丁に連なるものを感じた。具体的にはマルドゥックシリーズと蒼穹のファフナーコールドスリープによる断絶によって世界観が不明瞭な中で(「戦争」でどの国家と闘っているかが意図的にぼかされていた点にも注目したい)鬼虫に業が重ねられていく展開はファフナーを彷彿とさせるし、終盤「有用性」の証明が重要なキーワードとして登場するのと、愛する者を守ろうとした果てに過去の妄執に囚われたラスボスの朧の造形はマルドゥック・スクランブルのボイルドを感じさせる。偶然か必然か、朧とボイルドのどちらも重力操作能力を持っている。また、大きなテーマをロボットやサイボーグといったいろいろなSF的なガジェットで覆っていく造りや鬼虫とそのパイロット(09メンバーと万能兵器)の〈バディもの〉の要素自体が、マルドゥックシリーズと共通している。
 「1巻だけで完結しているのにシリーズ化すべきなのか」という意見も散見されるが、全巻読み終わった後だと、シリーズ化して正解だったと思う。作者が本当にやりたかったこと、描きたかったことを描き切るには、これくらいの巻数が必要だったのではないか。
 1巻の発売日に何気なく手に取った作品がここまで素晴らしいものになる経験はなかなかなかった。
 リアルタイムで、新作が傑作になる瞬間に立ち会えたことが何よりも嬉しかった。
 全力を以って作品を盛り上げた九岡・吟両先生に最大級の感謝を捧げたいです。